「ふう……。今日は16万円ほどの利益が出たな」
薄暗い部屋をパソコンのモニターが照らす。耳にはパソコンのファンが回る音と、控えめなジャズミュージックが心地よく響く。低音のベースとトランペットが織りなすハーモニーは、まるで体の中に染み入るようだ。高級なゲーミングチェアに深く腰掛け、背もたれを最大まで倒して大きく伸びをした。
男の名前は諸飛騨圭人。新卒で入社した会社に10年勤めた後、フリーランスに転身した。IT系の仕事をこなしつつ、独自に作成したツールでデイトレードの真似事をしている。当初は副業のつもりだったが、思いのほかうまくいったため、本業の勉強とデイトレードの勉強の比重が逆転し、株価の値動きを追う時間が長くなった。しかし、本業がおろそかになることはなく、憎らしいことに顧客からの評価は高い水準で横ばいを保っていた。
国内株式、外国のインデックス株、仮想通貨に不動産……。彼はあらゆるものに手を出し、それぞれの特徴を把握した上で、今は仮想通貨に重きを置いている。仮想通貨の値動きは落差が激しく、下手をすれば大ダメージを受けそうだが、そのスリルが諸飛騨の嗜好と見事に合致した。
最近、購入した投資用マンションの老朽化と住民トラブルで価値が下がり、大損してしまったものの、仮想通貨の利益で損失をカバーできたのは幸運だった。
ふと壁の無機質なデジタル時計に目をやると、「16:58」の数字が並んでいた。17時には本業の進捗ミーティングがある。あらかじめまとめておいた作業内容と課題、今後の予定をさっと見直し、頭の中を会議モードに切り替えた。
「お疲れ様です。会議を始めます」
パソコンのスピーカーから、しわがれた声が発せられた。
打ち合わせは滞りなく進み、その日の仕事は静かに終わった。諸飛騨はパソコンの電源を落とすと、深く息をつき、ゲーミングチェアに身を預けてゆったりと伸びをする。それから、ジャズの音量をわずかに上げ、瞼を閉じた。聞き心地のよいジャズを聞きながら、今日の出来事を頭の中でなぞる。それが諸飛騨にとって、仕事終了後のルーティンだった。
「今日も上々だ。トラブルなし。ツールも問題なく稼働している。ほんの一瞬、肝を冷やす場面もあったが、利益が確定できたし、良い一日だった……」
脳内で一日の総括を終え、諸飛騨は目を開け、冷蔵庫へと歩を進めた。冷凍庫に備え付けのウイスキー用製氷皿から、芸術品のような球状の氷を取り出し、バカラのグラスへ移す。カラン、と氷がグラスと触れ合う澄んだ音が響いた。そこに18年物の山崎を注ぐ。仮想通貨で初めて大きな利益を手にした日、その記念にと手に入れたバカラ。そして同じ時に購入した18年物の山崎。黄金の液体が加わり、再び氷がカラン、と静かに鳴る。ロックを一口。芳醇な香りが、喉越しと共に体内に染み渡り、凝り固まった思考と肉体を解きほぐしていった。
小皿にスモークチーズとピスタチオを盛り付け、テレビ前の小さなテーブルへ。ソファに深く身を沈め、いつものようにテレビのスイッチを入れようとして、指が止まった。画面は沈黙したままだ。
「ん? 電池切れか?」
何度かリモコンのボタンを押してみるが、テレビは反応しない。リモコンには単三電池が二本必要だが、買い置きは切らしていた。やむを得ないと諸飛騨は立ち上がった。今日は丸一日、部屋から出ていなかった。時計を見ると「18:43」の表示。電池を買いに行くついでに、少し夜風に当たるのも悪くない。諸飛騨は玄関でウォーキング用のサンダルに履き替えた。
最寄りのコンビニまで徒歩5分ほど。そこそこ広く、品揃えも豊富だ。最近、レジに立つ外国籍の店員を見る機会が格段に増えたように思う。少し前までは学生アルバイトの姿が当たり前だったコンビニが、今では彼ら外国人労働者によって支えられているようにすら感じる。異国の地で働くことの苦労を知らない諸飛騨にとって、彼らの存在には、ある種の尊敬の念が伴っていた。
コンビニに入ると、「いらっしゃいませー」という声が聞こえた。イントネーションが少し変だったので、レジの方を見ると東南アジア系の女性が見えた。19時前でピークは過ぎたころだろうか、レジ前に並ぶ客も少ない。
諸飛騨はゆっくりと電池を探し始め、すぐに見つかった。ついでにおつまみコーナーからサラミを手に取る。レジに並ぶと、来店時に声をかけてきた店員が対応してくれた。名札を見るとグェンと書いてある。
「850円になります。」
イントネーションは独特だが、上手な日本語で、対応も丁寧だった。諸飛騨はスマートフォンでQRコード決済を済ませて店を出た。その足で家とは逆方向へと歩を進める。ぐるっと一周するようなルートで帰宅し、時計を見ると19時25分を示していた。およそ40分の外出だったことになる。
諸飛騨はバカラのグラスを手に持ち、溶けた氷とウイスキーを捨てた後、新しくウイスキーを注ぎ直した。リモコンの電池を入れ直し、ピスタチオを摘みながらテレビのスイッチを入れる。テレビがつくと、バラエティ番組が放送されており、占いをテーマに芸能人たちが賑やかに喋っていた。
下らないと思いながらも、他に見たい番組もない。彼はチーズやピスタチオ、サラミを摘みながら惰性で見ていた。すると、世間で有名だという占い師が、神妙な口調で語り始めた。
「12月生まれの射手座の人はこれから注意してほしいことがあります。今までにないような災難に見舞われる可能性が高いです。とくに――」
「くだらない」
諸飛騨は即座にテレビの電源を消した。彼はまさに12月生まれの射手座だった。
(今までにないような災難?そんなもの、いつだってそこら中に転がっているだろう。ばかばかしい。)
心の中で毒づくと、グラスに残っていたウイスキーをグイっと飲み干し、サラミを平らげた。酒が回ったのか、強烈な眠気が襲ってきた。シャワーを浴びてから寝るつもりだったが、あまりの眠さにそのまま眠ることに決めた。諸飛騨はベッドの上に倒れこむように横になると、意識を手放した。
どれくらいの時間が経っただろう。スマートフォンの震える感触で目が覚めた。寝ぼけた目で手に取ると、それは学生時代からの付き合いである中町からの電話だった。スマートフォンの時計には「3:15」と表示されている。最後に連絡を取ったのは10年ほど前だったか。中町も色々と投資に手を出していて、大きな損失が出てしまったという話を聞いた。それにしてもこんな夜中に何の用だろう。
そのまま無視することもできたが、このイライラをぶつけたかったので、少々不機嫌な状態で電話に出た。
「諸飛騨だけど。こんな夜中に…なんなんだよ…。」
「あ、中町だけど。こんな夜中にすまないな。今、俺困ってんだよ。」
思わず深いため息をついた。この男はいつもそうだ。こちらの都合はお構いなしに自分の用件だけ突き通そうとする。諸飛騨は深いため息をついて、半ば諦めたように、そしてどうでもいいような態度で話しかけた。
「いい迷惑してるんだよね。用件、言ってくれる?」
「今、お前の家の近くのコンビニにいるんだけどさ。金を貸してほしいんだよ。財布を忘れちまったみたいでさ。頼むよ。」
「電子マネーとかないのか?」
「ああ。やってない。」
また一段と大きなため息をついた。
「わかったよ。行くから。もうちょっと待ってろよ。」
「すまん!恩に着るよ。」
諸飛騨がコンビニに行くと、レジの近くで申し訳なさそうにそわそわしている中町が見えた。彼はこちらにすぐ気づき、そそくさと諸飛騨の方に駆け寄ってきた。おそらく、コンビニの入り口をずっと見ていたのだろう。
「すまん!ガス代、電気代、水道代の支払いがたまっちゃって…。2万ほど借りたいんだ。」
諸飛騨は色々と思うことがあったが、時間を無駄にしたくないので2万円を中町に渡した。
「ほんとすまないな!ジュースでも飲む?」
「…。俺の金だろ。」
「じょ、冗談だよ。」
能天気な中町だったが、こちらの機嫌が悪いことがようやく伝わったらしい。中町はいそいそとレジに並んだ。諸飛騨は何度目かの深いため息をついた。そのときだった。
「店員さんよー!早くタバコ出してよ。年齢確認なんかいらないだろ!」
「すみません。しかしルールですので。免許証など年齢の確認ができるものを出していただけませんか?」
「あのさー、ルールルールってうるさいんだよ。見りゃ成人していることくらいわかるじゃないか!」
レジの方を見ると、女性店員がガラの悪い男に絡まれているようだった。
何気なく店員のほうを見ると、客に絡まれているのはグェンだった。巻き添えを食らうのは面倒だとは思いつつも、グェンを助けてあげたいという気持ちもあったので、店をそっと出て警察に連絡した。
「すみません。コンビニで大声を出して店員に迷惑をかけている客がいるので来てもらえませんか。」
ほどなくして警察が到着し、店の中に入っていった。すると店の中は急に静かになり、男は警察に連れられて外に出てきた。一瞬こちらを睨んできたが、諸飛騨は知ったことではないとやり過ごした。
その後、諸飛騨はコンビニの中に入り、雑誌が並んでいるところに向かった。政治の汚職を訴える週刊誌、ファッション誌、車雑誌など、様々な雑誌が並ぶ。ひときわ目を引いたのは、派手な色使いのサブカルチャー雑誌だった。いわゆる怪談・都市伝説を扱っている本だ。
"怨念か!?廃屋に佇む黒い影"
よくあるフレーズだ、と思っていると、支払いを終えた中町がやってきた。
「待たせたな。はい、2万。」
「あ?財布なかったんじゃないのか?」
「実は金を貸してほしいというのは、お前に会うための口実だったんだ。本当の用件は、俺と一緒に来てほしい。」
中町の目が何かを企んでいることを語っていた。諸飛騨と中町はコンビニを出て話を続けた。
「一緒に来てくれって…。こんな夜中に?どこに行くんだ?」
「ああ。この夜中にだ。心霊スポットに俺と一緒に行ってほしい。」
諸飛騨は今日一番の深いため息をついた。
「あのさ。俺たちもうアラフォーに片足突っ込んでるんだぜ?心霊スポットって…。ガキがやることだろ。俺は帰る。」
「そんなこと言わずにさ!頼むよ!」
心霊スポットといえば、若い男女がキャーキャー騒ぐもの、という認識が諸飛騨の中にはあった。諸飛騨は目に見えないものは信じないという、極端なまでの現実主義者だ。それが30代半ばを過ぎた男同士が心霊スポットに行こうという。何が悲しくて男と二人で心霊スポットなどに行かなくてはならないのか。こんな夜中に電話で起こされ、本当の目的は心霊スポットに一緒に行くことだという。うんざりしながら中町に言った。理解ができなかった。酔いも覚めた。しかし、それとは別に「なぜこの男は心霊スポットに行きたがっているのだろう」という疑問が湧いたのも事実だ。目をこすりながら諸飛騨は中町に聞いてみた。
「あのさ。なんでそんなに心霊スポットにこだわるんだよ。そもそも、なんで俺なんだ?」
「いい質問だね。圭人くん。」
その話口調に諸飛騨はイラっとした。そんなのはお構いなしに中町は続けた。
「その心霊スポットは、ほんの数年前にこの辺で起きた殺人事件の現場なんだよ。ニュースにもなっていたな。そこで誰もいないのに泣き声のようなものが聞こえるっていう噂があるんだ。近所に心霊スポットがあったなんて驚きだろ?」
諸飛騨は、「この辺で殺人事件なんて起きたか?」と記憶をたどったが、まったく思い当たらなかった。この数年はあまり人とのかかわりを持っておらず、ある意味世捨て人のような生活を送っていた性なのかもしれない。仕事の忙しさには波がある。今でこそ仕事はほどほどの量だが、3~5年前はパソコンの前にかじりついていた。そう思うことで自分を納得させた。続けて中町が言う。
「二つ目の質問にも答えよう。簡単な話だ。みんなに断られた。」
結局、中町に押し切られる形で、二人は目的の心霊スポットへと向かうことになった。
中町はコンビニに止めてあったトヨタのノアの鍵を開け、助手席のドアを開けた。
「こちらへどうぞ。」
車の中は何とも言えないにおいが漂っている。表情に出ていたのだろう。中町が謝ってきた。
「この車、中古で買ったんだけど、臭いがなかなかとれねぇんだよ。でもすぐ慣れるから。すまないが我慢してくれ。」
「窓開けていいか?この辺って言ってたけど、どれくらいかかるんだ?」
「ああ、好きにしていい。例の現場には10分くらいで着くはずだ。」
そう言うと中町はノアのエンジンをかけた。
諸飛騨は分かったと言って、シートベルトを装着して窓を開け、少し眠ると言って目を閉じた。
「起きろ。着いたぞ。」
そう言って中町は諸飛騨の体をゆすった。思っていたより深い眠りについていたようだ。目をこすりながら背伸びをする。
「結構寝た気がする。」
「時間にして20分くらいだな。ちょっと道を間違えてしまった。」
車を止めた場所は少し大きめの公園の駐車場だった。一定の間隔をあけた街灯が地面を照らす。公園にはうっすらと林があり、その奥は暗闇で何も見えない。
「ここが心霊スポットなのか?」
「いや、ここじゃない。ここから少し歩くんだ。えーっと…。こっちだ。」
中町は地図アプリを開きながら歩き出した。諸飛騨は何も考えずに中町についていくことにした。公園を出ると大きな通りに出た。公園近辺には何もないのだが、少し歩くとコンビニや住宅が見える。こんなところが心霊スポットになりえるのだろうか。
「ここだな」
そこは住宅街の中にポツンと潜んでいるかのような家だった。電気もついていないし、人の気配もない。かといって廃屋というには綺麗すぎる。中町は数年前に起きた殺人現場と言っていた。もう少し古くなっていてもいいのでは、と思ったが、深く考えることはやめにした。
「よし、行こう。」
「鍵が閉まってたらどうする?」
「…そこまで考えてない…。」
「…。」
中町はドアノブを手に取って回してみると、ドアが開いた。鍵はかかっていなかったようだ。誰もいないとはいえ、この場合玄関で靴を脱ぐべきだろうか?そもそも不法侵入だからそんなこと気にしなくていいのか。とどうでもいいことを考えてしまった。どうやら色々考えてしまうのは諸飛騨の癖らしい。
家の中を見て回る。埃は積もっているが、比較的きれいにされていた。殺人事件が起きた現場なのにこんなにもきれいなのか…と諸飛騨は一人感心していた。
「おい、諸飛騨。これ。」
中町がそう言うと、一部屋だけ異様なところがあった。部屋自体はきれいだが、一つだけ違うところがあった。床に血痕のようなものがあった。
「ここが現場か。」
中町がそう言った。しばらくその部屋にとどまったが、怪奇現象のようなものは起きなかったし、泣き声のようなものも聞こえなかった。残りの部屋も一通り回ったが特に何も起きなかった。
「ふーむ。何も起きなかったな。」
「そのようだな。じゃ、帰ろうぜ。」
中町は仕方ないといったように歩き出した。こういうときによくあるのは、「車に無数の手形が張り付いていた!」とか「車のエンジンがかからない!」というお決まりのパターンだが……公園に着いて車を見ても手形はついていないし、エンジンもかかった。
「噂は噂でしかなかったというわけだ。」
中町が一人納得したようにそう言うと、アクセルを踏み、車を走らせた。
10分ほどで諸飛騨の家に到着した。諸飛騨が車から降りると、「今日は悪かったな」と一言残して、中町は去っていった。
時計を見ると4:44を指していた。
「小学生の頃、『4:44に鏡を見ると鏡の世界に閉じ込められる』とかいう怪談があったな。」
そう呟いて家の中に入った。シャワーを軽く浴び、髪と体を洗い、パンツとシャツを履いてベッドの中に潜った。
仕事が始まるギリギリまで寝ることを心に決め、目を閉じた。
それから3日ほど経過したが、特に何も起こるわけではなく、平凡な生活を送っていた。この日も仕事を終え、バカラのグラスに氷を入れてウイスキーを注ぐ。グラスを回して氷の音を楽しむ。
諸飛騨は心霊スポットのことなどすっかり忘れていた。
「ふう……。」
ウイスキーを口に入れ、一息ついた。諸飛騨はグラスを持ちながらリビングに移動してソファに腰かけ、テレビのリモコンを手に取り電源を入れようとした、その時。
「ミシッ」という、異様な音を立ててテレビ画面に大きな亀裂が入った。まるで鋭い爪を持った何かが、画面を切り裂いたかのように。
「なっ…!」
諸飛騨は声にならない声を上げた。そしてここから諸飛騨の身に奇妙な出来事が現れ始めるのだった。テレビに近づき亀裂を見る。画面の左上から右下にかけて、深くえぐられたような亀裂が走っている。もちろん、この家にそんな“もの”がいるはずがない。と、そのとき、テレビの画面越しに人影が映った気がした。諸飛騨は慌てて振り向いたが、そこには誰もいない。
「気のせい…か?」
疲れているのかもしれないと諸飛騨は思いながらも、脳裏にはあの心霊スポットの光景が蘇っていた。
「いや、幽霊なんかいない。」
そう一言つぶやいて、グラスに残っていたウィスキーを飲み干そうとした時だった。持っていたバカラのグラスが音を立てて砕け散った。氷とウィスキーは床に飛び散り、グラスを持っていた手は血だらけになってしまった。精神的にタフだと自負していた諸飛騨だったが、立て続けに起きた奇妙な現象に、もはや憔悴しきっていた。洗面所で怪我した左手を水で洗い流し、ガーゼと包帯を巻いて傷の部分を保護する。そのあと、何とも言えない不安からスマートフォンを手に取り、中町に電話をかけたがつながらなかった。仕方なくSMSのアカウントにメッセージを残したが、この日のうちに既読になることはなかった。
「あいつ、無事だといいが…。」
諸飛騨は中町の無事を祈った。このまま家にいても気分が沈む一方だと思った諸飛騨は、靴を履いて近所のコンビニに出かけることにした。玄関を出ようとしたその時、背後から低い声が聞こえた気がした。
「逃げても無駄だよ」
背筋が凍りついた。しかし、後ろを振り向いたらダメな気がして、諸飛騨は歩を進めた。
途方に暮れながら近所のコンビニに立ち寄った際、レジを担当していた店員のグェンが諸飛騨の顔を見るなり、深刻な表情で告げた。
「あなたは呪われているようです。」
突然のことで何を言っているのか分からないが、数秒考えたのち、この不思議な現象が続いていることと関係しているのかもしれないと思い当たり、グェンに話すことにした。
「実は今日になって変なことが起こるようになってしまって。もしかしたら3日ほど前に心霊スポットに行ったせいかもしれません。」
諸飛騨がそう言うと、グェンは首を横に振った。
「幽霊なんかじゃありません。これは呪いです。とても強力な。」
驚いた諸飛騨が理由を尋ねると、グェンは自身の祖父が母国で有名なまじない師だったと明かした。そして、「自分は呪いを払ったりすることはできないけれど、呪いを感じることができます。」と、そう言った。
「あなたのカバンの中から嫌なエネルギーを感じます。」
そう言われて諸飛騨がカバンの中を確認すると、一枚の妙な札を見つけ出した。
「なんだ、これ?身に覚えがないな…。いつから入っていたんだろう?」
グェンは、諸飛騨の顔を見て言った。
「それはよくないものですね。近くに大きな神社があるので、そこでお祓いをした方がいいです。なるべく早めに。」
「なるべく早めに」
諸飛騨は近くにある大きな神社の電話番号を調べ、かけてみた。電話口に出たのは女性。巫女だろうか?お祓いをしてくれるか尋ねてみた。
「実は最近、何の前触れもなくテレビに傷ができたり、変な人影が見えるようになって困っているんです。お祓いをお願いしたいのですが…。」
「わかりました。急いだ方がよさそうですね。今日来られますか?」
なんとその日のうちに祓ってもらうことになった。
諸飛騨が神社につくと、神主と思われる老人が待っていた。
「ようこそいらっしゃいました。とても厄介なものをお持ちのようですね。ですがもう大丈夫です。安心してください。さぁ、こちらへどうぞ。」
神主はしっかりとした声で諸飛騨を案内した。手水を打って、案内された部屋に入る。
「あなたのカバンの中から妙なエネルギーを感じます。それをこちらに渡してもらえますか?」
グェンと同じことを言ってきた神主に驚きつつ、カバンの中から例の札を出して神主の前に差し出した。
「この札からは嫉妬や憎しみといったものを感じます。とても強い負のエネルギーです。こちらは神社で預かり供養します。よろしいでしょうか。」
「はい。お願いします。私にも身に覚えがないので…。」
「わかりました。ではお預かりします。念のため、あなたについてもお祓いしてもよろしいでしょうか。初穂料として1万円ほどいただくことになりますが。」
「はい。ぜひお願いします。それで呪いというものから解放されるなら安いものですから。」
「承知しました。」
それから1時間ほど神主によるお祓いが始まった。「祓詞」というものを読み上げている。その言葉を聞いているうちに、諸飛騨は自身の体がフッと軽くなった感覚に包まれた。
「これで終わりとなります。お疲れさまでした。どうですか?何かお変わりありましたか?」
「なんか…体が軽くなったような気がします。頭もクリアになったような。」
神主はにこりと一瞬笑みを浮かべた。そして次のようなことを言った。
「呪いというのは非常に取り扱いの難しいものです。人を呪わば穴二つという言葉があります。呪いは決して幸せを生みません。」
言っていることは分かったが、なぜこの言葉を今ここで言うのかを諸飛騨は理解できなかった。とりあえず諸飛騨はお祓いをしてくれた礼を言い、神社を後にした。
家に帰る前にコンビニに立ち寄ると、グェンの姿が見えた。客がいなくなったところを見計らって、諸飛騨はグェンに話しかけた。
「先ほど、神社でお祓いしてもらいました。気分的にもだいぶ楽になりました。グェンさんのおかげです。」
グェンはほっとした表情を見せた後、今度は少し険しい表情になった。
「それはよかったです。おそらく、呪いをかけた者は報いを受けることでしょう。」
その言葉は神主が最後に言った言葉とリンクした。
(神主が言いたかったのはそういうことなのか?)
諸飛騨はもやもやとした感情を抱えたまま、コンビニで適当なつまみを購入して帰宅した。帰宅した後は購入したつまみを肴に缶ビールを2本ほど開けた。
お祓いをしてからというもの、諸飛騨は通常の生活を取り戻していた。仕事も変わらず。変わったことといえば、バカラのグラスとテレビが部屋から無くなったことだけだ。変わった現象については誰にも話していない。思い出すのも嫌だったからだ。そんなある日、ふと諸飛騨は思った。
「そういえば中町と連絡がつかないな。」
最後に送ったメッセージも既読になっていない。そんな時、スマートフォンに電話がかかってきた。画面に表示されていたのは、諸飛騨と中町との共通の友人である小山からだった。
小山も学生時代からの付き合いだ。諸飛騨と小山と中町は、学生時代よくつるんでいた。卒業してからは小山とはあまり連絡を取っていなかった。連絡は年末の忘年会と年始の挨拶くらいだった。
「もしもし。諸飛騨だけど。」
「あ、モロ?久しぶり。突然で申し訳ないけど、中町のこと何か聞いている?」
「えっ?」
小山は「俺もさっき連絡があってびっくりしたんだけれど…」と言って、話を続けた。
信じられないことに、中町が見晴らしのいい大きな道路を横断中、大型トラックにはねられて即死したというのだ。
「大型トラックの運転手は勝手にハンドルが動いたとかなんとか言ってるんだけど、もしかしたら薬物でもやってたのかもしれない。中町がかわいそうだ。お通夜と葬式は…」
小山の声は諸飛騨に届いていなかった。
「もしかしたら俺に呪いをかけたのって…」
諸飛騨が窓から外を見ると、一つの星が一瞬きらりと光った気がした。その輝きは、まるで何かを暗示しているかのようだった。