恋人と別れて三か月。心にぽっかりと空いた穴を埋めるかのように、タカシはマッチングアプリに登録した。しかし、スマホの画面に映る女性たちのプロフィール写真の列をスワイプする指は、虚しさを増幅させるだけだった。誰もが同じような笑顔で、同じような言葉を並べている。そんなものに救いを求めた自分が、少しだけ馬鹿らしく思えた。
そんな時、「まゆみ」という女性とマッチングした。
プロフィール写真は少し古びていたが、黒髪の似合う、はっとするような美人だった。メッセージのやり取りもどこか控えめで心地よく、タカシはすぐに彼女に夢中になった。
駅の改札で待っていたまゆみは、写真よりも輪郭がひとまわり痩せているように見えた。まるで、良質な絵の具で描かれた肖像画から、水分だけが静かに蒸発してしまったかのように。それでも、にこりと笑うと、その影がすっと消え、やはり魅力的だった。
「はじめまして。まゆみです。」
「はじめまして。タカシです。今日はありがとうございます。お店予約しているので、話しながら行きましょうか。」
こうして二人は、予約したカフェへと歩き出した。
カフェに着き、席に座ってケーキと飲み物をそれぞれ頼んだ。そこでタカシは、まゆみに最初の違和感を覚えた。
まゆみは洒落たカフェのケーキを前に全く手を付けない。
フォークを置いたまま「ごめんなさい。食が細いの」と悲しそうに笑うだけだった。
二度目のデートは映画館。
まゆみの希望により、ホラー映画にしたのだが、まゆみは全く怖がるそぶりを見せない。「まぁそういう人もいるよな。」とタカシは納得しようとしたが、暗闇の中でふと横顔を盗み見ると、彼女はスクリーンを凝視したまま一度も瞬きをしていないように見えた。
その帰り道、まゆみはぽつりと言った。
「タカシさんが子供の頃好きだったヒーローの映画、またやらないかな。」
タカシはそんな話をした覚えはなかった。
「まゆみさんは何を言っているのだろう…。」
タカシはこの時、初めてまゆみに一種の恐怖、不気味さを覚えた。首筋の産毛が総毛立つ感覚に、タカシは息をのんだ。
三度目のデート。一緒に歩いている最中、うなじにかかる黒髪の隙間から、タカシはそれを見てしまった。黒ずんだ痣。それは打ち身のような生々しい色ではなく、まるで古いインクの染みのように、彼女の白い肌に沈み込んでいた。
「これ、どうしたの?」
思わず指を伸ばしかけてやめた。まゆみは「ちょっとね」とだけ言うと、慈しむようにその場所をそっと手で覆い、寂しそうに目を伏せた。その仕草に思わず手を伸ばし、彼女の手に触れてしまったタカシは、その氷のような冷たさに内心で息を呑む。
いくつもの違和感が、タカシの中で一つの巨大な疑念へと変わっていった。ある夜、彼はついに決心した。
「まゆみのことをもっと知らなければならない。」
タカシはインターネットで彼女の名前を検索した。ありふれた名前だ。いくつもの顔写真がヒットするが、どれも違う。
諦めかけた時だった。タカシが検索候補の欄に視線を移すと、気になる文字列が表示されていた。
「まゆみ 失踪 事件 サンライズマンション」
サンライズマンションというのは、タカシが住んでいるマンションの名前である。
タカシに緊張が走った。
震える指でそれをクリックする。
画面に表示されたのは、数年前の古いニュース記事だった。
『サンライズマンション前で女性が行方不明に』
そこには、まゆみのあのプロフィール写真が掲載されていた。
記事によれば、彼女の最後の足取りは、今タカシが住んでいるサンライズマンションの前で途絶えているという。
ザアッと血の気が引いた。心臓が凍てついた鉄の塊のように、胸の底に沈んでいく。記事の文字列が、じわりと滲んで見えた。
数年前の事件。マンションの前で途絶えた痕跡。全身の毛が逆立ち、耳の奥がキーンと鳴る。
その、完全な静寂を切り裂いて、「ピンポーン」と玄関のチャイムが、やけに甲高く響いた。
こんな夜中に誰だ。
タカシは恐る恐るインターホンのモニタを確認する。すると、モニタに映っていたのは満面の笑みを浮かべたまゆみだった。
「タカシさん」
その刹那、モニタから彼女の姿が消えた。その声はタカシのすぐ後ろから聞こえたのだ。
タカシは振り向けない。
「わたしのところにきて?」
甘えるような響きの奥底に、ぞっとするほどの冷たい怨嗟が滲んでいる。
タカシの両肩に、氷のような何かがそっと置かれた。それはまゆみの腕だった。
それ以降、タカシは行方不明になった。