優しい少年の願い
ケンイチが決意を固めたのは、井戸の底から汲み上げた水が、ついに泥ばかりになった日のことだった。
この地域を襲った干ばつは、もう何か月になるだろうか。
アスファルトは熱で歪み、田畑は見るも無残にひび割れている。人々は日に日に痩せこけ、瞳から光が失われていった。正義感の強いケンイチは、その様をただ黙って見ていることはできなかった。
彼が向かったのは、村外れの山の中腹にある、古びた祠だった。
苔むした鳥居をくぐり、忘れ去られたように静まり返るその場所で、ケンイチは膝をついた。ここが、地域に古くから伝わる神様の場所だと、祖母から聞いたことがあった。
彼は祈った。
どうか、この地に雨を。
人々を救ってください。
私にできることなら、何でもしますから。
その声が、乾いた風に吸い込まれて消えていく。
もちろん、すぐに何かが起こるわけではない。ケンイチは陽が落ちるまで、ただ一心に祈り続けた。
そして、夜が明けた。
空は、鈍い灰色に覆われていた。
ケンイチが空を見上げた瞬間、ぽつり、と彼の頬に冷たいものが落ちた。
一つ、また一つと、その雫は数を増していく。
雨だ。
「雨が降ったぞ!」
誰かの声が響き渡る。それを合図にしたかのように、人々は家から飛び出し、天を仰いで歓喜の声を上げた。乾いた大地がゴクゴクと水を飲む音が、あちこちから聞こえてくるようだ。ケンイチも、安堵の息を漏らし、固く握りしめていた拳をゆっくりと開いた。
恵みの雨は、三日三晩降り続いた。
川は水かさを増し、枯れ果てていた作物も、少しずつ生気を取り戻していく。人々はようやく笑顔を取り戻した。
しかし、恵みの雨は思わぬ代償を村にもたらしていた。
村人たちの会話が、どこか噛み合わないのだ。
「昨日の夕飯、何食べたっけかな」
「あれ、あんたに貸した鍬、返してもらったかい?」
誰もが、ついさっきの出来事さえ、まるで雨に打たれて滲んだ絵のように、輪郭がぼやけて思い出せないでいる。
それはケンイチも同じだった。
彼は、自分がなぜ山の祠へ向かったのか、その理由を思い出せずにいた。確かにそこへ行った記憶はある。だが、何のために祈ったのかが、どうしても思い出せない。
地域は救われた。人々は潤いを取り戻した。
だが、誰一人として、この恵みの雨に「感謝」する者はいなかった。
まるで、「感謝」という感情そのものを、雨と引き換えに差し出してしまったかのように。
ケンイチは今日も、静かに降り続く雨を縁側から眺めている。
胸にぽっかりと穴が空いたような、この不思議な喪失感はなんなのだろう。
彼は思い出せない。
雨はただ、静かに、何もかもを洗い流すかのように、この地に降り注いでいる。