まさかずは都会の子供だった。
夏休みになると、バスに揺られて一人、山奥のおじいさんの家に行くのが常だった。
蝉の声がシャワーのように降り注ぎ、むわりと立ちのぼる土の匂い。
すべてが都会とは違っていて、まさかずは冒険気分で胸を躍らせた。
優しいおじいさんは、まさかずが来るのをいつも楽しみにしていた。
でも、たった一つだけ固く約束させられることがあった。
「まさかずや、裏の蔵だけは、入っちゃいかんぞ」
古くて大きな蔵。その扉には錆びた南京錠がぶら下がっている。
ダメだと言われると、どうしても気になってしまうのが子供というものだ。
ある日の昼下がり、おじいさんが畑仕事で出かけている隙に、まさかずは蔵に忍び込んだ。
おじいさんが畑仕事に出かける際、鍵をかけ忘れたのだろうか。南京錠は、ぶら下がっているだけだったので、簡単に入ることができた。
ひんやりと黴臭い空気。薄暗い中に、がらくたが山と積まれている。
その中で、一つだけ。
ぽつんと、桐の箱に収められたものがあった。
そっと蓋を開けると、中には一体のこけしが鎮座していた。
古いものらしかったが、不思議なほど綺麗で、優しい顔立ちをしている。
赤い着物を着た、おかっぱ頭の女の子のこけしだ。
「きれいだ…」
思わず手に取った、その瞬間だった。
足元の板が、ギシリ、と音を立てて抜け落ちた。
「わっ!」
まさかずは体勢を崩し、手からこけしが滑り落ちる。
カラン、コロコロ…
そして、乾いた、嫌な音がした。
ポキッ
拾い上げると、こけしの首が、ありえない角度にぐにゃりと折れ曲がっていた。
優しい微笑みはそのままに、首だけが、だらりと垂れている。
まずい。
まさかずは慌ててこけしを箱に戻し、何事もなかったかのように蔵を出た。
心臓が、ドクドクと嫌な音を立てていた。
その夜からだった。
家の中がおかしくなったのは。
寝ていると、どこかからか、クスクスと女の子の笑い声が聞こえる。
台所でおじいさんとご飯を食べていると、誰もいないはずの二階から、トントン、と階段を降りてくるような音がする。
おじいさんは、日に日に口数が少なくなっていった。
そして、時折、ぞっとするほど冷たい目で、まさかずのことを見るようになった。
まるで、何もかもお見通しだと言わんばかりの目で。
ある晩、まさかずは夢を見た。
枕元に、あのこけしが立っている。
首が折れ曲がったまま、じっと、まさかずを見下ろしている。
そして、小さな口が、かすかに動いた。
『いっしょになろう』
飛び起きたまさかずは、蔵に駆け込んだ。
あの桐の箱を開ける。こけしは、壊れたままそこにあった。
だが、箱の底に、古びた写真が一枚入っていることに気づいた。
若い頃のおじいさんと、その隣で、はにかむように笑う女の子。
女の子は、あのこけしとそっくりの、おかっぱ頭をしていた。
写真の裏には、掠れた字でこう書かれていた。
『かずこ 昭和二十五年 夏』
その時、まさかずは全てを悟った。
これはただのこけしじゃない。
おじいさんの、亡くなった妹の形見だったんだ。
翌朝、おじいさんは縁側で冷たくなっていた。
まるで眠るように、穏やかな顔で。
でも、その手は、何かを求めるように、固く握りしめられていた。
とりあえず親に連絡をしなければ―。
そう振り返った瞬間、首筋に奇妙なこわばりを感じ、まさかずは近くにあった鏡を覗き込んだ。そこに映っていたのは、わずかに傾いだ自分の首――そして、その肩越しにこちらを覗き込む、おかっぱ頭の女の子の姿だった。
女の子は音もなくスッと近づいてきてつぶやいた。
「いっしょになろ?」
女の子がまさかずの首にそっと触れた。
ボキボキッ
数日後、おじいさんの様子をしばらく見ないからと、家を尋ねてきた金田さんはこう語る。
「玄関に手をかけると鍵が開いていました。不審に思い中へ入ると、まず男の子が倒れているのが目に入りました。首が、ありえない方向に折れ曲がって…。奥の縁側では、じいさんも冷たくなっていたのです。じいさんに外傷はなかったようですが、男の子のほうは…。不可解なことに、部屋が荒らされた形跡は一切なくて、強盗ではないようでした…。では一体だれが何のために…?」
この出来事は、未解決事件として村中で噂されることになった―。