Zeronicle Story

創作した話や絵を中心に綴るブログ

知らせ蝉 ~不吉な出来事を知らせる蝉~

あれは、僕がまだ小学生だった頃の夏休み。都会の蒸し暑さから逃れるように、毎年、田舎の祖母の家で過ごすのが常だった。

紅蓮の目をした鳴かない蝉

鬱蒼と茂る木々、どこまでも続く青い空、そして、耳を突き刺すほどの蝉時雨。それが僕の夏の原風景だった。毎日のように、虫捕り網と虫かごを手に、一日中野山を駆け回っては、アブラゼミやミンミンゼミを捕まえるのが何よりの楽しみだった。

その日も、僕は裏山のクヌギの木で、一匹の蝉を見つけた。だが、それは少し奇妙な蝉だった。

他の蝉たちが「ジリジリ」「ミーンミーン」と力の限りに鳴き叫ぶ中、その蝉だけはまるで石像のように幹に張り付いて、ぴくりとも動かず、全く鳴かないのだ。そっと手を伸ばすと、驚くほど簡単に捕まえることができた。

手のひらに乗せて、まじまじと見る。 黒光りする体は、他のアブラゼミと変わらない。しかし、その複眼だけが、まるで血を吸ったかのように、不気味なほど赤く、そして濡れたように光っているように見えた。

珍しい蝉だ。僕は得意になって、その「鳴かない蝉」を他の蝉とは別の小さな虫かごに入れ、自分の部屋の机の上に置いた。

忍び寄る不吉な影

その夜、奇妙な夢を見た。 無数の蝉が、僕の体中にびっしりと張り付いている。手足にも、腹にも、背中にも。そして、耳元で一斉に鳴き叫ぶのだ。鼓膜が破れそうなほどの、狂ったような大合唱。あまりのうるささと恐怖に飛び起きたが、部屋は静まり返っており、窓の外から聞こえるのは、涼やかな虫の音だけだった。

翌日、異変は現実にも起こり始めた。 虫捕りに出かけると、あれほどうるさかった蝉の声が、僕が近づくと、すぅ…っと潮が引くように止まるのだ。まるで、森全体が僕を拒絶し、息を殺して警戒しているかのように。シンと静まり返った森の中で、自分の足音だけがやけに大きく聞こえた。

気味が悪くなって早々に家に帰ると、机の上の虫かごから、あの赤い目の蝉がじっと僕を見ていた。 その時だ。

「……ジジ……」

鳴き声でも、羽を擦り合わせるような音でもない。まるで、古いラジオのノイズのような、乾いた音が聞こえた。 しかし、音源は間違いなくあの蝉だった。

知らせ蝉

夕食の時、祖母にその蝉の話をした。 「昨日捕まえた蝉、目が赤くて、鳴かないんだ。それに、たまにジジって変な音を出すんだよ」 箸を止め、僕の話を聞いていた祖母の顔が、すっと曇ったのを僕は見逃さなかった。 「…それは、『知らせ蝉』かもしれんねぇ」 祖母は、ぽつりと言った。 「不吉なことを知らせに来る蝉じゃ。昔からそういう蝉を家に持ち込むもんじゃないって言われとる。…明日の朝、すぐに元の山へ返してきなさい。いいね。」

祖母の真剣な声色が、子供心に少し怖かった。しかし、珍しい蝉を手放すのが惜しくて、僕は「うん」と曖昧に頷くだけで、その言葉に従う気はなかった。

今思えば、その夜が僕の人生を変えてしまったのだろう。

誰にも聞こえぬ蝉の声

夜中、ふと目が覚めた。だが、体はまるで鉛のように重く、指一本動かせない。 金縛りというやつだ。そして、心臓が嫌な音を立てて脈打つ。

(ジジ…ジジジジ…)

すぐ側であのノイズ音が聞こえる。昨日よりもずっと大きく、はっきりと。 恐怖に引き攣りながら、必死に目だけを動かすと、それが見えた。

虫かごから抜け出した赤い目の蝉が、枕元に…僕の耳のすぐ横にいた。 その一対の複眼が、闇の中で禍々しい紅蓮の光を放っている。そして、普段は木に突き刺して樹液を吸うための、針のように鋭い口吻が、ゆっくりと…ゆっくりと…僕の耳の穴に向かって伸びてくるのが、スローモーションのように見えた。

やめろ、やめろ、やめてくれ! 心の中で絶叫するが、声は出ない。

そして、口吻が僕の耳に触れようとした、その瞬間。

『ジジジジジジジジイイジジジジジイイ』

脳に直接響き渡るような、甲高いセミの声が鳴り響き、僕の意識はそこでぷつりと途切れた。

……翌朝、僕は自分の布団で目を覚ました。 金縛りは解け、体に何の異常もなかった。机の上の虫かごは空になっていた。嵐が過ぎ去ったかのような静けさだった。

ただその日から、僕の耳には、他の誰にも聞こえない蝉の声が鳴り響くようになった。

そして、そのセミの声が鳴り響いたとき、僕の周りで不吉なことが起こるようになった。

祖母が亡くなったときも、頭の中でセミが鳴り響いていた。

「不吉なことを知らせに来る蝉じゃ。」

あの時の祖母が言ったことは本当だった。僕は知らせ蝉と一体となってしまったのだ。