Zeronicle Story

創作した話や絵を中心に綴るブログ

【不思議な話】飼い犬からの警告


「タロウ、また明日な」

あきのりは、庭の隅に作った小さな墓標にそう声をかけるのが日課だった。小学四年生の彼にとって、柴犬のタロウは物心ついた時からいつもそばにいるのが当たり前の存在だった。生まれたばかりの自分を、ゆりかごのそばでじっと見守っていたというタロウ。やんちゃな盛りには、どこへ行くにも一緒だった。泥だらけになって野山を駆け回り、疲れて帰れば、タロウのふかふかのお腹を枕に昼寝をした。

そんなタロウも、あきのりが成長するにつれて、少しずつ老いていった。大好きだった散歩も足取りが重くなり、寝ている時間が増えた。そして、去年の冬の寒い朝、タロウは冷たくなっていた。老衰だった。獣医は「大往生だよ」と言ったが、あきのりの心にはぽっかりと大きな穴が開いてしまった。

夢に出てきた亡き愛犬

タロウが死んで三ヶ月が過ぎた、春先の夜のことだった。

あきのりは、不思議な夢を見た。目の前には、元気だった頃のタロウがいる。毛並みは艶やかで、尻尾をぶんぶんと振っている。懐かしい匂いがした。

「タロウ!」

駆け寄って抱きしめようとすると、タロウはなぜか後ずさりをする。そして、いつもとは違う、真剣な目でじっとあきのりを見つめ、低く唸った。

『あきのり。』

声が聞こえた。人間の言葉ではない。だが、確かにタロウの声だと、あきのりには分かった。

『あきのり、よく聞け。いつもの帰り道、曲がり角の先の電信柱。』

タロウは前足を上げて、くい、と何かを示すような仕草をした。

『もし、黒い帽子の男が立っていたら、絶対に目を合わせるな。絶対にだ。そして、俺が好きだった、あの裏の細い道を通って帰れ。わかるな?絶対にだぞ。』

その必死の形相に、あきのりは息を呑んだ。夢の中なのに、タロウの息遣いがやけに生々しく感じられた。

目が覚めると、頬に冷たい汗が伝っていた。窓の外はまだ薄暗い。心臓がどきどきと早鐘を打っていた。夢…ただの夢だ。そう自分に言い聞かせたが、タロウの真剣な眼差しが脳裏に焼き付いて離れなかった。

愛犬からの警告

その日の学校の帰り道、あきのりは友達と別れ、一人で家路を急いでいた。いつも通りの道。特に何も変わったことはない。夢のことなど忘れかけていた、その時だった。

前方に、見慣れた曲がり角が見えてきた。そして、その先の電信柱。

そこに、一人の男が立っていた。

黒いつばの帽子を目深にかぶり、俯き加減に何かを待っているように見える。あきのり頭にふとタロウが出てきた夢のことが頭をよぎった。

ぞくり、と背筋に悪寒が走った。心臓が、嫌な音を立てて脈打ち始める。まさか。そんなはずはない。

男から目を逸らそうとすればするほど、なぜか視線が吸い寄せられてしまう。見てはいけない。タロウの声が、頭の中でこだました。

『絶対に目を合わせるな』

あきのりは、ぐっと唇を噛み、靴紐を結び直すふりをしてその場にしゃがみ込んだ。心臓は破れそうなほど高鳴っている。どうしよう。このまま引き返すべきか? いや、そんなことをしたら、逆に怪しまれるかもしれない。

その時、再びタロウの声が蘇った。

『俺が好きだった、あの裏の細い道を通って帰れ。』

そうだ。タロウとよく散歩した、あの道だ。民家の塀と塀に挟まれた、大人一人がやっと通れるくらいの薄暗い路地。
少し不気味で、一人でいるときはあまり使わない道だったが、タロウはその道が好きで散歩のときはよくそこを通っていた。
今はこの道を通るしかない。

あきのりは、ゆっくりと立ち上がると、男の方を見ないように、慎重に歩き出した。そして、曲がり角の手前で、意を決して細い路地へと駆け込んだ。

コンクリートの壁に挟まれた薄暗い道は、ひんやりとした空気が淀んでいた。自分の足音だけが、やけに大きく響く。後ろを振り向きたい衝動を必死にこらえ、ただ無我夢中で走った。

どれくらい走っただろうか。ようやく見慣れた大通りに出た時、あきのりは思わずその場にへたり込んでしまった。肩で大きく息をしながら後ろを振り返ったが、誰も追ってくる気配はなかった。

家の前で母親がきょろきょろしているのが見えた。母親があきのりに気付くと、、血相を変えてあきのりに駆け寄ってきた。

「あきのり!無事だったのね!?」

母親に強く抱きしめられ、何が何だか分からずにいた。
家の中に入ると、リビングのテレビがついており、そこでニュース速報が流れていた。

『本日午後、〇〇地区で下校途中の児童を狙った連れ去り未遂事件が発生しました。犯人とみられる男は、黒い帽子をかぶっており…』

画面に映し出された、不審者のものとされる似顔絵。それは、電信柱の前に立っていた、あの男と瓜二つだった。

後日のニュースによると、犯人は別の児童に声をかけようとしたところを近所の住民に見つかり、逃走したものの、間もなく確保されたという。

あきのりは全身の力が抜けていくのを感じた。もし、あの時、タロウの警告がなかったら。もし、あのままいつもの道を帰っていたらどうなっていたのだろう…と。

死してなお、飼い主を守る愛犬

その夜、あきのりは再びタロウの夢を見た。

今度のタロウは、いつものように尻尾を振って、嬉しそうにあきのりに寄り添ってきた。夢の中なのに、その体の温もりや、毛の感触がはっきりと伝わってくる。

「タロウ…ありがとう。助けてくれて」

あきのりがそう言うと、タロウは「くぅん」と甘えたように鼻を鳴らした。言葉はない。でも、その優しい瞳が「ずっと見守っているよ」と語りかけているようだった。

あきのりは、もう一度、ぎゅっとタロウを抱きしめた。

翌朝、あきのりはタロウの墓の前に立った。そして、買ってきたばかりの、タロウが大好きだった犬用ジャーキーをそっと供えた。

「ありがとう、タロウ。これからも、俺のこと、見守っててくれよな」

そう言うと、どこからか春の優しい風が吹き抜けて、墓標の脇に植えられた小さな花が、まるでタロウが尻尾を振るように、優しく揺れた気がした。