
秘めた恋心
私の故郷の町では、毎年七夕祭りが盛大に行われます。商店街には色とりどりの吹き流しが飾られ、家々の軒先には、願い事を書いた短冊が結ばれた笹が飾られるのです。
その町に、美咲という少女がおりました。手先が器用で、折り紙や切り絵で美しい笹飾りを作るのが得意な、物静かな娘でした。彼女には、健太という幼馴染がいました。明るく快活な健太は、いつも美咲を気遣ってくれる優しい少年。美咲が淡い恋心を抱くのは、ごく自然なことでした。
毎年、七夕が近づくと、二人は一緒に笹飾りを作るのが恒例でした。美咲が作った飾りを、健太が背伸びをしながら高い枝に結びつけてくれる。その時間が、美咲にとっては一年で一番幸せな時でした。
今年も、美咲は健太のために特別な飾りを用意していました。そして、一枚の短冊に、震える手でこう書いたのです。
『健太くんの隣に、ずっといられますように』
今年こそ、この想いを伝えよう。そう心に決めていました。
しかし、その年の夏は、いつもと少し違いました。
都会から、沙織という少女が転校してきたのです。長い黒髪にぱっちりとした瞳。誰にでも気さくに話しかける沙織は、あっという間にクラスの人気者になりました。そして、健太もまた、太陽のような彼女の魅力に惹きつけられていったのです。
嫉妬の炎
美咲の心に、じわりと黒い染みが広がり始めました。健太と沙織が楽しそうに話す姿を見るたび、胸がちりちりと焦げるような痛みを覚えました。
七夕祭りの前日。美咲は勇気を振り絞って、健太を誘いました。
「健太くん、明日、一緒に笹飾りをつけない?」
しかし、健太は少し困ったような顔でこう言ったのです。
「ごめん、美咲。明日は沙織さんと一緒に回る約束、しちゃってて……」
その言葉は、冷たい刃のように美咲の心を突き刺しました。
その夜、美咲はいてもたってもいられず、一人、夜の神社へと向かいました。町の喧騒から離れたその神社には、ひときわ大きな笹竹が植えられています。その笹は、古くから「願いが叶いすぎる」と町の人々に少しだけ畏れられている、特別な笹でした。
社の裏手に回り込んだ美咲の目に、信じられない光景が飛び込んできました。
月明かりの下、健太と沙織が、楽しそうに笑いながら短冊を結んでいたのです。
風にひらりと舞った二人の短冊が、美咲の目に焼き付きました。
『健太と、ずっと一緒にいられますように 沙織』
『沙織と、ずっと一緒にいられますように 健太』
赤く染まった短冊
ああ、そう。そうだったの。
美咲の足元が、ぐらりと崩れていくような感覚に襲われました。
嫉妬と絶望が、真っ黒な渦となって彼女の心を飲み込んでいきます。
気づけば、美咲はポケットに入れていた自分の短冊を握りしめていました。『健太くんの隣に』と書いた、あの短冊を。彼女は、持っていたペンで、その願い事の上から、何かを必死に書きなぐりました。まるで呪いの言葉を刻むように。
そして、その黒く塗りつぶされた短冊を、例の「願いが叶いすぎる」という不気味な笹の、一番低い枝に、強く、強く結びつけたのです。
その夜、美咲は夢を見ました。
神社の笹竹が、血のように真っ赤に染まっている夢です。笹の葉が風に揺れるたび、すすり泣くような声が聞こえ、遠くで沙織の悲鳴がこだましていました。
翌日、七夕祭り当日。
町は朝から異様な雰囲気に包まれていました。沙織が、昨夜から行方不明だというのです。最初はただの家出かと思われていましたが、彼女の部屋には何の荷物もなく、まるで煙のように姿を消してしまった、と。
健太は顔面蒼白で、必死に沙織を探し回っていました。その姿を見るたび、美咲の胸は罪悪感で張り裂けそうになりました。「私のせいだ」「あの願いのせいだ」。でも、怖くて何も言えません。
夜になり、祭りの提灯が町を赤く照らす中、美咲は吸い寄せられるように、昨夜の神社へと向かいました。
社の裏手にある、あの笹竹。
恐る恐る近づいてみると、美咲は息を呑みました。
自分が結んだ短冊が、まるで血に濡れたように、赤黒く染まっていたのです。
そして、笹の葉の先から、ぽた、ぽた、と粘り気のある赤い雫が地面に滴り落ちていました。
よく見ると、笹の枝に、きらりと光るものがあります。それは、沙織が昨日つけていた、星の形の髪飾りでした。
七夕の悲劇
ぞっとした美咲が後ずさりした、その時。
背後から、ひどく冷たい、囁き声が聞こえたのです。
「キミ ノ ネガイ、カナエテ アゲタヨ」
勢いよく振り返っても、そこには誰もいません。
ただ、風に揺れる笹の葉が、さらさらと、まるで嘲笑うかのように鳴っているだけでした。
結局、沙織が見つかることはありませんでした。警察の捜査も打ち切られ、彼女の失踪は「七夕の神隠し」として、町の噂話になっただけです。
心を病んでしまった健太は、その年の夏が終わる頃、遠くの町へと引っ越していきました。
町に残されたのは、美咲、ただ一人。
彼女の本当の願いは、「健太の隣にいたい」という、ささやかなものだったはずです。けれど、嫉妬に狂って書きなぐった、あの黒い願いが全てを壊してしまいました。
彼女が短冊に書きなぐった言葉。それは…
『沙織がこの世から消えますように』
今でも、七夕の夜になると、美咲は一人であの神社を訪れるそうです。
そして、誰もいないはずの笹の下で、虚ろな目で呟くのです。
「あの日に戻して…。」
その問いに答えるものはありません。
ただ、風に揺れる笹の葉が、血の色に見えるだけです……。