四軒茶屋の幽霊
これはあるとき、父が僕に話してくれたものだ。
父の高校卒業してからの話
その昔。私は高校を卒業した後、建築関係の勉強をするために京都に行くことにした。京都に行くきっかけを作ったのは、小学生の時に読んだいろいろな建物が載っている資料集だった。その資料集には様々な技法で建てられた建築物が紹介されており、数寄屋造りや社寺建築など建物の写真が私の印象に強く残った。
そんな資料集のページをめくっていくと、ひと際目を惹く建物があった。その建物は京都にある建物で、何とも言えない魅力を放っていた。写真は建物がメインなのだが、その背景にある街並みも美しい。日本にこんな美しい風景と建物があるのかと、私はとても感動した。それはトレジャーハンターが念願の宝を見つけたかのように。あるいはグルメ好きなタレントが念願の料理を口にしたかのように。
その時、私は「京都に行って実際にこの建物を見てやろう。」と決心した。そして高校を卒業して、小学生時代からの夢を実現すべく、京都に向かったのだ。
京都には父の知人がいて、その人を介して私は建築の仕事を紹介してもらった。父の知人の名前は熊林さんという。熊林さんは父よりも少し年上の男性だ。
私は熊林さんと高校三年の夏休みに初めて会った。父が熊林さんを我が家に呼んで、私が京都に行って建築の勉強をしたいと伝えたら、
「そうなのか。たいしたもんだ。初めての京都だろうから、困ったことがあったら遠慮なくいってくれ。」
と言ってくれたのが心強かった。私はその言葉に甘えて
「一人暮らしをしたいのでアパートを一部屋借りたいです。いくつか候補を選んでくれるとありがたいのですが。」
と言ったら、熊林さんは笑って。
「ほーかほーか。わかった。知り合いに不動産屋がいるから調べてもらおう。」
と言ってくれた。そして数か月後の冬休みに、熊林さんは物件のリストを手紙で送ってくれて、その中には私を雇ってくれる会社の連絡先も載っていた。
私は早速熊林さんに電話をかけた。物件のお礼と、これから紹介してくれた会社に電話をする旨を伝えた。
「一応、アルバイトからのスタートになる。悪く思わないでくれな。何か月か働いて、その働きぶりを見て正社員にするか決めるのとことだ。」
「はい。大丈夫です。ありがとうございます。」
私は熊林さんにお礼を言った後、すぐ紹介してくれた会社に電話をかけた。
「はい。どちらさん?」
「あの、熊林さんからの紹介を受けた安藤というものですが。」
「あぁ、君が熊林君が言っていた子か。」
「はい。4月からお世話になります。どうぞよろしくお願いします。」
「なかなか厳しい仕事だけれど、がんばって。最初はアルバイトからのスタートになるんだけど。熊林君から聞いてる?」
「はい。伺っております。」
「ん。じゃ、そんな感じで。連絡ありがとうね。まずは合格だわ。」
「いえ。こちらこそ貴重なお時間いただきありがとうございます。失礼します。」
電話を切り、ふぅっと溜息をついた。短い時間だったが、会社の人と話したのはとても緊張した。数か月後にお世話になる会社だ。一言一言のやりとりに気を遣う。「はたして私は問題なく話せただろうか。」と、気にしても仕方がないことなのだが、それでもやはり失礼はなかったかどうか、私はずっと気になっていた。
私は気晴らしにと、熊林さんからもらった物件のリストを見ることにした。建物はいずれも古めかしいものだった。家賃を抑えたいのだからそれはしかたない。「風呂とトイレがあってくれればいいや」そう思って物件を一つずつチェックしていく。
すると自分の好みの部屋がみつかった。4畳一間。バストイレ付の和室だった。部屋は狭いかもしれないが4畳あれば十分な気がした。私は早速父に話し、そのあとで熊林さんに電話をかけた。
「おう、気に入った物件が見つかったのか。じゃ、契約しておくから。」
そう言って住む場所も決まった。
高校を卒業した後、私は父とともに熊林さんの家に向かった。お礼と熊林さんがどんな所に住んでいるのか興味もあった。
「熊林さん。ご無沙汰しております。としおもつれてきました。」
「熊林さん。こんにちは。この度はいろいろとありがとうございました。」
「いらっしゃい。そんなかしこまらずに。さ、どうぞ。お茶でも飲もう。」
熊林さんは名前の通り大きく、がっしりとした体つきだ。例えるならラグビーのラガーマンのような。「もし、熊林さんが全力で体当たりをしてきたら、ダンプにひかれたようにひどいことになるだろうな。」と私は思った。それと熊林さんの顔には面倒見がいいだろうなという雰囲気が顔のしわに出ている。あくまでも私の感想だが。
「今、俺の息子のともみつがでかけている。帰ってきたら紹介するよ。ともみつが返ってきたタイミングで新居に案内しよう。」
「としお、ともみつくんはお前と同じ年だ。」
同い年の熊林さんの息子。仲良くできるだろうか?そんなことを考えているうちにともみつが帰ってきた。
「ただいま。」
ともみつは帰宅してリビングに入ると、私と父の顔を見た。「あぁ」というような顔をして口を開いた。
「もしかして安藤さんたちですか?すると君がとしおくんですか?」
「はい。安藤としおです。よろしく。」
「俺は熊林ともみつ。こちらこそよろしく。タメだし敬語じゃなくていいからね。」
ともみつは好青年だった。熊林さんとは違ってスラリとしたスタイル。顔はどこか熊林さんと似ているところがあった。その後、しばらく私は4人で話をしていた。そんなときだ。
「そうだ。ともみつ。としおくんと一緒に散歩がてら案内したらどうだ。ほら、としおくん、この近くに住むから。」
「じゃぁ、としおくんの住むところとその周辺を案内するかー。としおくん、それでいいかな?」
「あ、大丈夫。」
「じゃぁ、さっそくいこう。そんなに案内するところないから時間はかからないと思う。」
こうして私はともみつと一緒に京都の町を散策することになった。このあたりの町は木造による建築物がとても美しく、街の雰囲気に溶け込んでいる。散策するのが楽しみだった。案の定、ともみつが案内してくれた場所は私の気持ちを躍らせた。私の住むことになっている物件も、写真で見るよりは明るい雰囲気で街にも溶け込んでいる。これからの生活がますます楽しみになった。
そんなとき、ともみつが口を開いた。
「案内するかどうか迷っているところがあるんだよね。」
何とも不思議なことをいうな。と私は思った。
「え?どういうこと。」
「うーん。四軒茶屋って聞いたことある?この町の一角に4つの喫茶店があるんだけど、そこをみんな四軒茶屋って読んでるんだよね。場所はここから300メートルくらいかな。」
聞いたことがない。東京にある三軒茶屋のオマージュだろうか?
「いや、聞いたことがない。おしゃれなところなのかな?」
ともみつは少し黙ってしまった。
「レトロな雰囲気は出てるし、おしゃれっちゃおしゃれかな?だけど、なんだ、その…。」
さっきまでのともみつとは一転して、どうも歯切れが悪い。私はどうした?という風に聞いてみたそうだ。するとともみつは覚悟を決めたように私のほうを向いた。
「そこね。幽霊が出るっていう噂があるんだ。そういうのが嫌いだったら案内する必要はないと思うんだけれど、どうだろうか?」
私は少し驚いた。幽霊。今までの生活は幽霊とは無縁だった。心霊スポットなんて行ったこともないし、行こうと思ったこともない。それがこれから住む町にあるという。
「別に幽霊は信じていないけれど、いてもおかしくないかなーくらいには思ってる。特別好きってわけじゃないけど、見てみたいかな。」
「わかった。それじゃ案内するよ。」
そしてともみつは歩き出す。私もそのあとをついていく。
「幽霊が出るって言っていたけど、どんな幽霊なんだろう?」
「噂によると、喫茶店の中にいつの間にか白い服を着た女が座ってコーヒーを飲んでいるらしい。」
「それってただの存在感のない女性ってだけじゃ…。」と言おうとしてやめた。
ともみつは立ち止まって前方を指さした。
「ほら。あれが四軒茶屋だよ。」
ともみつが指すほうへ視線をやると、古びた木造2階建ての喫茶店が4つ横並びになっていた。どこか風格のあるような佇まい。建てられたのはいつなのだろう。確かに古めかしいところはあるが、それと同時に清潔さを保っているような不思議な建物だった。これが四軒茶屋。私はこれらの木造建築物に感動していた。
「今は昼だからそれほど怖くないと思うけど、夜になるとまた違った雰囲気になるんだよね。」
夜の四軒茶屋。どのような雰囲気になるのだろう。私は京都で過ごすようになったら、夜の四軒茶屋を訪ねようとひそかに決意した。帰る間際、私はちらっと四軒茶屋のほうを見た。すると建物の窓から白い服のようなものが見えた気がした。
この後私はともみつと一緒に熊林さんの家に戻り、夕飯を食べてから帰った。私は帰るときもずっと四軒茶屋のことを考えていた。父が私に対して何かを言っても上の空だったので、父は少し不安を覚えたそうだ。
そこから私は引っ越しの準備をした。持ち物はなるべく少なくして、足りないものがあればその都度そろえることにした。数日後、引っ越し業者が荷物を詰め込んだ段ボールを運び出していく。私の部屋から生活に必要なものが無くなった。それが朝の10時ごろの出来事だった。業者には翌日のお昼ごろに届くように依頼している。その翌日の朝。
「じゃ、いってくる。」
父と母に別れを告げて私は単身京都に向かった。新幹線の指定席。隣には年配のおじいさんが座っていたので軽く挨拶した。
「旅行かな?」
おじいさんが話しかけてきた。
「いえ、仕事のため京都に行くんです。」
「へぇ、仕事で。もしかして新社会人になるのかな?がんばってね。」
見知らぬおじいさんは、私に対してとてもやさしく接してきてくれた。私は少し照れて、新幹線の中で眠ることにした。そうはいってもなかなか寝付けない。これからのことを考えると楽しみと不安が入り混じった何とも言えない気分になった。新幹線の窓から景色をみる。しばらくすると日本一の山である富士山が見えてきた。天気が良く澄んだ空気のおかげでくっきりはっきりと富士山をみることができた。
新幹線に乗って3時間ほどで京都についた。リュックをしょって改札を出る。多くの人がごった返しになっていた。アパートの鍵は熊林さんが持っているので、一度熊林さんの家に立ち寄る必要がある。私はバスに乗って熊林さんの家に向かった。熊林さんの家につくと、玄関のインターホンを鳴らした。しばらくすると熊林さんが出てきた。
「お、来たな。これがアパートの鍵だ。アパートまで送ろう。」
「すみません。よろしくお願いします。」
そういって私は熊林さんにアパートまで送ってもらった。
「まだ引っ越し業者は来ていないようだな。」
「お昼頃と言っていたので、もうすぐでつくと思います。」
熊林さんと一緒に車を降り、新居のドアを開いた。写真で見た通りの部屋だ。
「少し狭いけど、ここでよかったのか?」
「はい。これくらいが落ち着きますね。」
熊林さんは体が大きいから窮屈に感じたんだろう。私はそう思った。実際、私にとって4畳一間という広さは気にならなかった。結果、私は10年以上この部屋に住むことになったのだから。しばらくして引っ越し業者がやってきて、荷物を部屋に置きに来た。段ボール箱は10箱ほど。段ボールが積み重なり、部屋の半分ほどを埋めた。
「なにか手伝うことはあるかな?」
熊林さんはそのようにいってくれたのだが、手伝ってもらうようなこともなかったのでお礼だけして帰ってもらった。荷物はそれほど多くなかったので、2時間ほどで荷ほどきは完了した。時計を見ると午後3時を少し過ぎたところだった。
「ふぅ、疲れた。ちょっと外に出ようか。」
午後3時。私はアパートの周りを散歩することにした。この辺りはともみつに案内してもらったところだ。少しだけ探索しようと決めていた私は、少し狭い路地を通ったり、人気の少ないほうへと歩いて行った。この辺りは木々が生い茂っているせいか、太陽の光が当たらない場所が多く、心なしか少し寂しい雰囲気があると感じたが、街並みはきれいだった。偶然通りかかった公園では小さな子供たちが遊んでいた。そのようなほほえましい光景を見ながら、私はこれからの生活を想像した。ふと気が付くと見おぼえがある場所に出た。どこをどう通ったのか全く覚えていないが、今、目の前にある景色には見覚えがあった。四軒茶屋だ。私はごくりと唾をのんだ。頭の中でともみつの声がリフレインした。
「夜になるとまた違った雰囲気になるんだよね―」
時計を見た。時間は4時を回った。あと1時間ちょいで日没だ。暗くなったらこの辺りはどのような雰囲気になるのだろう。私は好奇心に抗うことができなかった。四軒茶屋の1画を担う店に入った。
「いらっしゃいませ。」
店員は女性で、年齢は見た感じ50代前半くらいに見えた。店員さんは続けて「お好きな席へどうぞ。」といった。店の中はちょこちょこ人がいる。学生やサラリーマン、30~40の女性たち、本を読んでいるおじいさん。客層の幅が広い。私はそう思った。
1階の席が満席だったので、2階に移動した。窓際の席が空いていたので、私はそこに荷物を置いた。ウェイトレスが来て「注文が決まったら声をかけてください。」と言って、おしぼりを置いていった。ウェイトレスは30代くらいの女性だった。白い肌と長い指が印象的だった。メニューを見るとどこにでもあるような料理の名前が連なっていた。看板メニューというのもこれといってないらしい。少し小腹がすいていたので、サンドイッチとウインナーコーヒーを頼むことにした。
「すみません。」
そう声を上げると先ほどのウェイトレスがやってきた。サンドイッチとウインナーコーヒーを注文すると、注文した内容を読み上げて戻っていった。ウェイトレスが去った後、何気なく窓から外を見ようとした。窓ガラスに反射した店の中。私の後ろを白のワンピースを着た女性が通り過ぎて行った。髪が長くて顔は良く見えなかった。急いで振り返ってみたが誰もいなかった。左右を見渡しても誰も歩いていなかった。学生や主婦と思われる女性たちの話し声が聞こえるだけだ。気のせいだったのだろうか。ほどなくしてウェイトレスがサンドイッチとウインナーコーヒーを運んできてくれた。軽くお礼を言ってウインナーコーヒーを一口飲んだ。ちょうどいい苦みが心を落ち着かせてくれた。まるで静かな池に小石を投げたあと、その波紋が再び落ち着くように。
「さっきのは気のせいだったのかな。」
そう思ってサンドイッチを一口食べた。サンドイッチは新鮮なレタスとトマトとハムが挟まっていて、フレンチドレッシングがかかっていた。程よい酸味が私に合っていた。私はふぅっと一息ついてから深呼吸した。そのあとウインナーコーヒーを一口飲んで、またサンドイッチに手を伸ばした。このサンドイッチとウインナーコーヒーの愛称は抜群だった。サッカーで例えるとサンドイッチがイニエスタで、ウインナーコーヒーはシャビだ。まるで踊っているように胃袋を刺激してくる。空腹感が後から湧き出てきた。食べ物を食べているのに腹が減っている気がする不思議な感覚だ。いつしか私は白いワンピースを着た女のことなど忘れていた。カバンの中に入れておいた本を手に取ると、適当にページをめくってみた。開かれたページにはおしゃれなデザインの建築物が載っていた。
「これから、こういう建物を作れるように頑張らなきゃな。」
そういって本を閉じて窓から外を見るとすっかり暗くなっていた。時計を確認するといつの間にか午後5時を回っていた。
「もうこんなに時間がたっていたのか。」
私は閉じた本をカバンに入れて帰ろうとした。伝票を手に取りレジに向かうとき、私はドキっとした。白いワンピースの女がテーブルに座ってコーヒーを飲んでいたのだ。「いつからいたんだろう。」私が見まわしたときにはいなかった気がする。そんなことを考えていたが、まるで体が硬直したかのように動かなかった。視線も女に向けたまま外せなくなっていた。
「…なにか?」
女は私が見ていたことに気付いたようだ。女は小さな声で、しかしはっきりと言ってきた。私はびくっとしながらなんとか返答した。
「す、すみません。失礼しました。」
女性と目が合ってから時間にしてどれくらい動けなかったのだろう。体感的にはかなり長く感じたけれど、実際は2,3秒くらいだったのだろう。金縛りのようなものが解けた後、私は何とか小走りでレジに向かった。女はそれ以上何も言わなかったし、何もしなかった。伝票を店員さんに渡して支払いを済ませて外に出た。外はすっかり暗くなっていた。四軒茶屋のあたりだけが明るく照らされていて、そこから少しでも離れると急に暗くなるというような感じだった。まるでここのあたりだけ別世界のような気分になった。
ここが四軒茶屋…。
あれから数年が経ち、地元に戻るまでの数年間は変わらず京都の町に住んでいた。
暇さえあれば四軒茶屋の喫茶店に立ち寄っていたが、あの日以降、白いワンピースを着た女を見ることはなかった。
きっとあの女は四軒茶屋の幽霊だったのだ。そして何かがきっかけで成仏したのだろう。
私はそう思うことにした。
終