登場人物
- 安藤たけお:主人公。中小企業の係長。上司の桜庭に辟易としている。退職することを決意。
- 桜庭としひろ:たけおの上司。課長。管理職の器でないとみんなに思われている。本人は気付いていない。
- 安藤よしえ:たけおの妻。
- 池田やすし:たけおの部下。人懐っこい。
たけおの災難 #2
晩御飯を食べていたよしえの箸が止まった。たけおは一瞬時間が止まったかのように感じた。少しの間をおいてよしえが話した。
「ま、いいんじゃない?たけおが好きなようにすればいいよ。」
たけおはほっと一息ついた。よしえは反対はしないだろうと思っていたが、それでもなんて言われるかという不安はあったのだ。
「ありがとう。ここから入りたい会社を探して、内定が出たら会社を辞める手続きをする感じにするよ。」
「ふーん。決まってから辞めるの?退職する理由は聞かないけど、辞めてから探すのもいいんじゃない?あ、おかず冷めちゃう。さ、食べよ?」
「やめてから探す…か。よしえがそう言ってくれるならそうしようかな?実は上司と衝突してね。もういいかな?って気になったんだよね。あ、悪い悪い。今日もうまそうな晩飯だ。食べよう。」
ご飯を食べ終えた後、たけおは風呂に入った。湯舟にはたっぷりのお湯に入浴剤も入っていた。森の香りの入浴剤だ。森の香りとは何だろう?少なくともこんな香ではないが、これはこれで心が落ち着くいい香りだ。そうたけおは思った。
頭を洗い、体を洗い、ゆっくりと湯船に浸かる。たけおは湯舟の中で会社での出来事を振り返っていた。順調に売り上げを出しているのに、これ以上何を提案しろというのか。桜庭が横柄な態度をとらずに協力を要請してきたのであれば、また違う結果になったと思うのに。たけおはこれ以上考えても仕方がないと思い、湯舟のお湯を手ですくって顔を洗って風呂から出た。
風呂から出たたけおは寝巻に着替えてリビングに向かった。リビングではよしえがテレビを見ていた。見ている番組はラブコメディのドラマらしい。世間では話題になっているがたけおはテレビを見ないのでそのあたりに関しては疎かった。とりあえず一緒に見ようと思い、よしえの隣に腰を下ろした。するとよしえはたけおにキスをした。ふいをつかれたたけおは少しドキっとした。
「びっくりしたー」
よしえは少しうれしそうだった。
「このドラマに出てくる男がさー、ちょっとむかつくんだよね。正論が正義だと思ってるの。女はさ、正論を言ってほしいんじゃないんだよね。共感してほしいの。悩んでたら正解をいうんじゃなくて悩んでいることをわかってほしいんだよね。」
「女心は難しいな。」
「そうだよ。複雑なんだよ。女っていうのは。たけおも気を付けなよ。正論ばかり言ってると嫌われるからね。」
「はい。肝に銘じます。」
「よろしい。」
たけおとよしえはこのままドラマを見続けた。正論ばかり言っていた男は彼女に呆れられ、振られてしまった。このあとこの男はどうなるのだろう?反省して復縁するのだろうか?三枚目キャラの友人にちゃかされて怒ってしまったところでこの話は終わった。続きが少し気になる。
「多分この二人はもうだめだろうね。女のほうは新しい男作るよ。そこから波乱があるんだろうね。」
次回予告を見ないうちにテレビを消した。よしえが言う展開はありきたりなものだったが、妙な説得力がある。しばらくよしえと話した後、自分の部屋に移動した。
「ちょっとめぼしい会社をピックアップしてから寝るわ。本当に良さそうな所見つけたらエントリーしようかなとも思ってる。」
「はい。じゃ、先に寝てるね。」
「おう。」
たけおは自室のパソコンをつけて、リクルートサービスから目ぼしい企業を調べ始めた。自分が持っているスキル、やりたいことが会社の強みや方針とマッチしているかどうか。これらも大事だが、やはりどれくらいの収入がもらえるかも大事な要素だ。そんな感じでたけおは目ぼしい企業を確認していくつかピックアップした。好条件な企業も数社見つかったのでエントリーを済ませた。あとは向こうから連絡が来るのを待つだけだ。
「これでだめだったらまた次に行けばいいだけだ。」
翌朝、たけおがオフィスの自席についてパソコンを立ち上げる。仕事のスケジュールを確認した。今月のヤマが過ぎたこともあり、比較的余裕があることがわかった。できれば今月中に内定を決めたいがうまくいくだろうか。ちらりと桜庭の席を見る。まだ桜庭は来ていない。
「とりあえず今日退職する旨を伝えよう。」
会社の始業時間になる少し前に桜庭は出社した。桜庭は肩で風を切るように無駄に堂々とした様子で自分の席についた。たけおは朝のミーティングのため会議室に移動。たけおのプロジェクトのメンバがそろったところで会議を開始した。会議の中では進捗状況の確認と作業の偏りがないか確認した。特定のメンバーに負荷がかかりすぎていることがわかったので、作業が落ち着いているメンバーを負荷の大きい作業にアサインしてカバーをはかることにした。会議が終わるとたけおは桜庭のほうに向かった。
「桜庭さん。今話せますか?」
桜庭がたけおをみた。見るからに面倒だという顔をしている。
「今じゃないとだめ?」
たけおは面倒だなぁと思ったので、用件だけ伝えることにした。
「それでは用件だけお伝えします。私、来月末で退職します。詳しいことは後ほど話します。」
「なに?お前、辞めんの?」
たけおは「お前」と呼ばれたことに少し不快感を示したがなんとか顔に出さないように努めた。少し深呼吸をして桜庭の顔を見る。
「はい。今までお世話になりました。今月は引き継ぎ資料と業務の説明をやって、来月は有休を消化する予定です。」
「引継ぎは当たり前だよ。来月は有休消化?全部消化するつもり?」
どこか棘のある言い方をする桜庭。できることならここで会話を打ち切りたいがそういうわけもいかず、あらゆるものに耐えながら話を続けた。
「ええ。有休使わないともったいないですからね。」
そういってからたけおは自分の席に戻った。桜庭がそのたけおの背中に向かって言う。
「みんな働いてんのに一人だけ休むか。さすがだなぁ。」
たけおは聞こえないふりをした。こんな人が管理職。職場の環境を悪くする管理職のもとで誰も働きたくないだろう。自分の席に着いたたけおは、自身の作業の引継ぎ資料の作成に取り掛かった。